告別式

12月6日 晴れ
式場控え室で一夜を明かす。
父へ線香をあげる。
注文した弁当を受け取り
みなさんと食す。
しばしのんびりとした時間を過ごし
会場のかたと打ち合わせをし、
みなさんが来るのをお待ちした。
昨日同様、お寺の方々への挨拶、
みなさまへの挨拶をしてまわる。
喪主や遺族はとにかく
みなさんへの感謝ともてなしこそが
最大の役目なのである。
まったく知らないことばかりの
母と拙者は、
もう大変なことばかりである。
昼、父の告別式がはじまった。
人生最後の最大セレモニーである。
弔辞挨拶を、父の学生時代の山岳友達が
してくださり、
若き日の父の奮闘振りがうかがえる。
牧場仲間や下川の方、夜勤先からも
メッセージをいただいている。
初七日もすませ、お別れもおわり・・・
遺族代表として挨拶をした。
挨拶の言葉はまったく準備はしていない。
その場で伝えたいことを伝える。
それがみなさんに伝わればいいと思った。
意識していることは
みなさんへの感謝の気持ち。
そして父が8年以上も闘病生活をおくり、
とくに1年以上もいつ死ぬかわからない日々を過ごし、
父も母もわれわれもその限られた時間を大切にし、
悔いのないように接してきたこと。
安らかに眠り、そして安心して旅立てるように
見送りたいという気持ち。
そんな気持ちを意識しながら挨拶をした。
どうやらみなさんの心に
気持ちは伝わって下さったらしく
安心した。
それから火葬場でのお別れ・・・
壺に骨をいれ・・・ちなみにデザインは
山男の父にちなんで霊山の絵を熱望し
それを購入してもらったのである。
そして親族で料理を食べ、
遺骨・御位牌とともに家へ。
日々勉強で大変だった。
無事、葬式が終わり、実家へ戻った。
まだ四十九日や父のなくなった後のことが
まだ続くが、少し肩の荷が下りたかな。
これから父が成仏していくように
見届けなくては・・・。
無事、終わりました。
ありがとうございました。
拙者の体には、亡き母の血、
そして想いが生きているように、
父の想いも生き続けていくであろう。