モンゴルの学生達とゲル作り!!

3月30日 晴れ 時々 雪
突然だが、モンゴルのひとたちと
ゲルを作ってきたでござる!!

この日の日記を書く前にまず、
以下は概要から抜粋したものでござる。
『それぞれの国の未来を担う子どもたちが、
一つの地球市民として集い、
多彩なトラディショナル性と
グローバルな普遍性を発見しつつ、
未来指向のジャズ音楽を皆で紡ぎ出す
「アジアンキッズ・ジャズコンファレンス」。
これまで同様、
国内外のすぐれたアーティストの皆さんを講師に迎え、
また一つ新しい音楽の芽を
旭川で育てようとしています。』

早朝、食事を済ませ、弟を車に乗せ
名寄へ!!弟を名寄におろし、
弟は職業訓練へ。
拙者は名寄市内でM井さんを待つ。
合流してゲルを持って
旭川クリスタルホールへむかった。
早く着きすぎたためしばし道の駅で休み
そしてホールへ!!
実行委員関係者や日本・モンゴルの学生や
教師たちなどに手伝ってもらいながら
ゲルを控え室へと移動した!!
打ち合わせを済ませてさっそくゲル作り。
順調に骨組みをつなぎ合わせた。
しかしその後から一転、
モンゴルの学生も積極的に参加!!
中途半端に知識があるだけに
おまけに言葉が通じないので制御するのに
ちと苦労したが、部分部分を修正指示しながら
順調に作業は進んで行き、1時間半ぐらいで完成!!
そこに来ていらしたゲルで暮らしてきた青年、
現在札幌在住で日本語も話せる。
その方とは良い話が出来き、
培ってきた知識もあり、
ゴルチャクタク(真ん中ひも)を
よくU字型に拙者はぶらさげるのだが
それにも意味があり、胃袋を表すらしく
大きくU字型にすると胃袋が膨らむ、
つまり食べ物がいっぱいはいるという
豊作を意味するようだ。
ゲルの保存や維持の仕方なども
いろいろと詳しいようで、
おそらくゲルで暮らすための
良きアドバイザーができた。
いや、ゲルだけに限らないが。
かなり国際的イベントらしく
道内、都内などから大使館がいらしたり、
安易にきた拙者はぎょぎょっ!!と想った。
ひさびさにモンゴルのひとたち、
モンゴル語が飛び交ったり
そのモンゴルのひとらしい性格に触れたり
とてもなつかしさと嬉しさがあった。
また大使館は、ゲルにかぶせる外布が
なかったのには不満があったようである。
拙者が知っているゲルは、
フェルトだけのゲルもたびたび観ており、
外布は、フェルトを汚さないためや
日当たりを防いだり
長持ちさせるためのものなので、
おまけ的感覚なのだが、
地元(とくに首都)のひとは、
そういった部分にもこだわりがあるようだ。
もともとおしゃれな国だからかな。
拙者はというとじつはフェルト丸出しが
味があって好きだったりする。
モンゴルの人はこう考えるのか、と
そういう一面もいろいろ感じた。
とはいえ、外布は実際、1年の使い捨て。
日本ではちと厳しいのである。
(お金のある人は別だけど。)
して、拙者は明日の本番は
下川で夜勤があるため観れないのだ。
というかゲルを建てても
イベントには参加できないのだ。
だが、リハーサルを観る事が出来た。
モンゴルの学生たちが
モンゴルの様々な楽器、
打楽器や琴や笛のような楽器など
いろんな楽器で沢山の名曲を演奏。
モンゴル楽器の響き、
自然と一体化した音楽が大好きな拙者は
その演奏を夢中で聴いていた。
それを聞き終えて拙者は帰った!!
名寄行きのバスがまだあったので
それに乗って名寄へ戻った。
自分の車がある場所まで歩いて
車に乗って下川へ。
夜も遅いので『味源』へ。
かつどんを食べようと想ったが
ランチメニューだった。
ならばラーメン!!
ひさびさに味源ラーメンを食し、
一の橋へ帰った。
途中役場の方と町で遭遇したが
夜中になってもまだ
働いているらしい。
忙しい日々を過ごしていて
大変そうである。
一の橋へ戻ると
弟も職業訓練から戻っていた。
弟はこれから夕食らしい。
無事、一の橋に引っ越してきた親友が
挨拶に顔を出してくれた。
そして日にちが変わり、
拙者は寝たのである。
ゲルは置いてきたので
あとで受け取らねばならない。
本当は夕食にも誘われたのだが
もう少し時間があれば・・・
もっとみんなと交流できれば
よかったかなぁ??
ま、しょうがないかなぁ。
でも、つながりは出来た!!
さて、拙者はいないが
31日 夕方より
旭川クリスタルホールにて
モンゴルの学生さんたちの
演奏が披露される!!
近場の人は行ってみては??
ニンニン。