さよならおばあちゃん・亡き母との再会

9月21日 晴れ
実家のある埼玉県川越市
朝、タクシーを呼んで様態の悪い父、
そして父と再婚した今の母。
そして拙者とで、
おばあちゃんの葬式のある会場へむかった。
(おばあちゃんの家は東松山市である。)
葬式は親族だけでひっそりと行われた。
おばあちゃんが倒れたは数日前、
しかもお父さんが退院したまさにその日だった。
おばあちゃんは時を選んだんだろうか。
倒れたおばあちゃんはそのまま集中治療となり
そのまま亡くなってしまった。
つまり亡くなるまで健康で元気だったのだ。
だからおばあちゃんは死ぬまで人生を楽しんだのだろう。
生きたままあえなかったのが残念でならない。
拙者はずいぶんみんなとご無沙汰している。
北海道移住後、おばあちゃんにも会いに行っていなかった。
親戚やいとことも再会。とてもなつかしさでいっぱいだ。
結婚したり子どもがうまれたりしているいとこもいる。
拙者が幼い頃から仲良く遊んでいた
年下のいとこ・AYAちゃんもすっかりりっぱな女性に育っていた。
幼い頃はおてんばだった。
明るさと思いやりや親しみやすさはそのままだ。
ひさびさの再会で話が盛り上がった。
仙台の姉妹いとこもお元気そうでなによりである。
葬式が行われた。拙者は正座で足がしびれてしばらく立ち上がれなかった。
棺の中のおばあちゃんにお別れをした。花を飾った。
棺を運ぶのを手伝った。そして棺とともに火葬場へ移動した。
それから昼休み。いとこたちと話しをしていた。
拙者は飯を食べる時間がなく持って帰ることにした。
再び火葬場で骨をひろった。お金を入れた。
そして墓へ移動した。寺でお経をきいた。
そして墓へいき、おばあちゃんの骨を墓にいれた。
納骨は若くて身軽で墓の中にもぐるのに適しており
拙者がその役目をいただいた。
墓に入ると、そのには、2つの入れ物が、
1つはおばあちゃんの夫でおじいちゃん。
もう1つは・・・おかあさんの名前が書いてある。
お母さんとじつに長い年月を経て直に再会した。
お母さん・・・。
そして拙者はおばあちゃんの骨を墓におさめた。
それからおばあちゃんの家へ移動した。
だが、鍵がまだきておらず、入ることができず
待ち時間に周りを散歩していた。
仙台のおねえさんいとこもいっしょだった。
ここは、拙者の幼い頃からの思い出の地。
毎年ここに来てはいとこや兄弟と遊んでいた。
変わらぬ公園、そして池。なつかしさであふれていた。
拙者は親が転勤が多かったので、
幼い頃から今のときまで足を運んでいる地はここ以外にない。
しかしおばあちゃんが亡くなった今、
この家や公園に足を運ぶこともほとんどないのだろうなぁ。
おばあちゃんの家には、拙者が誕生したときの
思い出の品もある。
そんな多くの思い出にふれながらその場を立ち去ったのである。
それから持ち帰った弁当と夕食を食べた拙者は
実家で寝たのであった。
おばあちゃん:小峰まつ 88歳であった。
さよならおばあちゃん、ありがとうおばあちゃん。
ニンニン。