迫る死への恐怖。

11月29日 曇り・時々雪

夜勤明け。ボイラーなどで余計疲れた。
飼育作業をしてから家へ戻る。
家では随時、実家からの電話のやり取り。
父の様態が意識もなく悪いのである。
ただひとの声は聞こえているようなのである。
そして精神の病で入院中の兄が、
父の見舞いに訪れたときに
ずっと意識のなかった父が
わめき出したらしい。
父は死ぬ恐怖に怯えている様子だ。
その日は実家との連絡をやりとりしながら
出発の覚悟を決めていた。
そして夜・・・!!
実家と最終確認・・・!!
まだ数日は大丈夫そうである。
父の見舞いに来てくれている親戚も
拙者には未来があるので
自分のことを今は大切にしていいのでは?と
言ってくれているらしい。
今の母も、同じ意見だ。
常に連絡をとれるようにして
すぐに出れるようにしてくれれば
それでいい。と。
拙者は、北海道に来て
父の死に目に会えないことは
覚悟の承知!!
そして後悔のないように
この前、実家へ戻って看病してきた。
父との時間も過ごしてきた。
もう覚悟は出来ている。
父が死ぬことが悲しいのではない。
父が死ぬ恐怖に怯えている様子を
想うと、悲しくなってくるのだ。
命あるものにとって死ぬことは怖い。
満足して死ねるように声をかけてあげたい。
そう思えてくるのである。
本当に危篤のときは
病院からも言われるとのことで
今は、生き物を飼っているし、
夜勤ももうあまり休めないので、
しばらく様子を観ることを決意・・・!!
そのかわり突然飛んでいくことになると思うし、
その日はそう遠くはない・・・!!
どうにも出来ないそんな日が続く・・・!!
いっそう、そばで見守っていたほうが
気分的には楽だが、
そんなことも言ってられないか・・・。
たしかに自分にも未来があるからなぁ。

以前、書いた文章がある。
http://www.bioregion.jp/Bio/im-tasukeai.htm
助け合いの循環が日常の中にあれば・・・
離れていてもあるいは安心できるのかもしれない。

ニンニン。