雪カキ

1月2日 雪
雪と言うよりは風のある1日だった。
だが、気温はやや暖かい気がする。
弟も調子が回復し、頑張っていた。
拙者は軽く犬の世話などの作業のみし、
弟に任せて、
通称:にれ氏が本日帰るので
その時間まで小峰ハウスで交流。
にれ氏は、東京在住・秋田出身。
夜勤疲れとかで少々疲れていたので
午後からはしばし休憩した。
そして夕方から手紙などを書いていた。
そして再び夜勤の時間が訪れて
拙者は夜勤へと行くのであった。ニンニン。
★★★★

ヒクイドリエミュー

エミューは、オーストラリア原産のヒクイドリエミュー科の走鳥類である。
ヒクイドリは、ニューギニア森林地帯やオーストラリア北部に生息し、頭部に派手なかぶとをつけている。
性質はおとなしいエミューとは違ってとても攻撃的で、
3本の鋭いつめで犬や豚をまっぷたつに切り裂くほどの強さを持っているでござる。
そしてその肉は大変美味しく貴重だったとされる。
また泳ぎがうまく魚もとって食べるらしい。
訪れた子供たちの中にはエミューをみて駱駝(ラクダ)と間違える子がいる。
しかしその感性こそ、「駝鳥(ダチョウ)」という名の由来なのだ。つまり昔の人々は、駱駝に似た鳥を駝鳥と呼んだのでござった。そして江戸時代に駝鳥といわれた鳥は、
今のダチョウではなくヒクイドリのことを呼んだと思われる。
その証拠にヒクイドリの特徴が描かれた絵に駝鳥という名で示されていたり、
「駝鳥、火喰鳥と云う。」と昔の文献にはっきり描かれているものもある。
ちなみに火食鳥は、エミューもそうであるが、
炭を好んで食べる。火がついたままの炭を食べるのをみた人々は、火を食べる鳥と思い込んだのだ。

そして今のダチョウは明治19年以降、サーカス団が連れてきたのが、
最初ではないかといわれているのでござる。
昔の日本人は異国から来た大きな鳥であれば、
ダチョウと思い込んで楽しんだのでござろう。
まれにエミューをダチョウ目エミュー科と記すものがある。
ダチョウの一種と勘違いしているか、あるいは
元祖駝鳥であるヒクイドリのことを指しているのかもしれない。
1930年代オーストラリアの歴史上に「エミュー戦争」というものがある。エミューに麦畑を荒らされた農民の要請によって軍隊が出動し、
エミューを機関銃で一掃しようとしたのでござる。
しかしながらあまり効果はなく、
それどころか農民が開拓した井戸などのおかげで
今まで水がなくて生息できなかった乾燥地にまで生息地を伸ばしたのでござった。
そんなたくましい鳥…それがエミューでござる。ニンニン。